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「節約」というと「とにかくお金を使わないようにすること」と思いがちですが 節約とケチは似て非なりです。

節約の本来の意味はお金の使い方や生活を見直すことであり、なんでもかんでもお金を渋ると「節約」ではなく「単なるケチ」になってしまいます。

よく「生き金」「しに金」と言いますが「生き金」は世のため、人のために使うお金のことを言います。例えば家族が疲れている時 元気になれそうなものを買ってあげる、悩み苦しんでいる友人がいたら 食事に誘い相談にのってあげるなど 生き金とは見返りを求めず 他の為に使っていくお金のことです。又 子供の教育や将来の為 勉学や教材等 学びに使うお金も生き金です。

では「しに金」はというと 自分の自己満足の為だけに使うお金のことをいいます。例えば 自分の見栄やプライドの為だけに高価な宝石や衣類を買ったり自分の一時的な欲求を満たす為だけに意味もなく浪費するお金のことです。自分の為だけにお金を貯め込み 他人には一切使わないのも「しに金」です。

又 ギャンブルや賭け事で得たお金というのは「棚からぼたもち」で得たお金で「汗水たらして働いて得たお金」とは違います。そうやって得たお金は その分 何らかの形で身にならずに出ていってしまいます。

お金は大事ですが 必要以上にお金に執着し とらわれて生きる事は餓鬼の心に通じるそうです。仏教では六道輪廻の中の1つに 欲しい、惜しいの餓鬼界を説いていますが、この世はお金が全てといったような考え方、必要以上にお金や物に執着することは餓鬼の心で誤った見方であると説かれています。

本当に価値のあるものはお金では買えないもので、お金で買えるものは実はそんなに価値は無いかもしれません。

又「お金には念がこもる」と言われたり、本当にお金が必要な時は なぜか必要な分だけ、どこかから入ってくることがあると言われたり お金は単なる紙っぺらのようでも、とてもスピリチュアルなもの、神秘的で不思議なものでもあります。

☆貧しさは人を賢くする?

お金はあるにこしたことはないと思いますが 貧しい時期やお金のない時期を一度は経験することで そこから学べるものもあると思います。
お金がないと 料理や買い物、電気、水の使い方など 頭をひねって 智恵を絞ってやりくりしますよね。
幼少期に貧しい経験をした女性は やりくり上手、節約上手な奥さんになられる方も多いのではないでしょうか。
又、物の大切さやお金の大切さ、ありがたさも 理屈じゃなく実感として感じているので、もったいない、ありがたいと感じる気持ちが消えることはないと思います。

「 三代目は身上を潰す 」と言うことわざがあります。
1代目は創始者ですから物凄く苦労もし 努力家です。
2代目は1代目が築いた土台の上に立っているため浪費家ではありますが1代目の努力や苦労を見て育っている為 努力します。
3代目は苦労と努力を知らずに育つため 人の上に立つ器も 維持する器もない、というような意味です。

又「三代続けば末代続く」ということわざもあることから「 苦労や努力を怠らないことが大事だよ 」というような意味です。

(仮に現実になぞらえて考えるならば 3代目は1代目とは時代が変わっているので 1代目、2代と同じ様にやっていただけでは駄目で 古いものを維持しつつ 新し物を取り入れたり 変えていかなくてはならない時期にぶつかります。
これは大変なことで いっそ今までの全ては壊してしまって 1から新しく何かを作り上げた方が良いとさえ思うかもしれません。

又 1代目は自ら望んで始めたことですが、 3代目にとってはそもそも自分がやりたかったことではなく 2代目のように1代目の影響を受けていない為、自分の思いとは別の 望まない生き方を強いられ 重たい荷物を背負わされているような重圧を感じやすいです。3代目には3代目の苦労があるわけですね。
そういったものから開放されたい思いや 変革を迫られる中で 結果として3代目はほにゃらら~なことになりやすい、というところかと思います。(※以上は個人的見解です)

☆日本人の「 大変だぁ 」と世界の「 大変だぁ 」は次元が違う

私は子供の頃から現在に到るまで贅沢とは無縁の暮らしで、貧乏暇なしとはよくいったもので、毎日が「大変だぁ」の連続。将来のことを考えても不安だらけで気分が落ち込むだけなのでもはや開き直って毎日生活しています。

そんな私が「大変だぁ」と思う時、よく思い浮かべていることがあります。
それは
「 大変だけど 隣人が民族浄化と称して刃物を持って襲ってくるわけではない 」
という一文。

民族浄化はジェノサイドとも呼ばれますが、ルワンダやボスニアの内戦、近年ではロビンギャ民族への迫害など、今も世界のどこかの国で行われ続け、又内戦や戦争がこの世から永久になくなることはないでしょう。

言葉の通じる隣人同士で なぜあんな残酷なことができたのかと疑問に思い、ルワンダの内戦(ツチ族とフツ族の内戦)に関する本を色々と読んだことで、生きるか死ぬか、やるかやられるかといった様な極限の状況、地獄絵図のような経験を余儀なくされた人々が沢山いること、又 今現在 そのような状況にいる人々も沢山いることを頭の片隅でいつも忘れないようにしているのですが、私が日本という国で「大変だぁ」と感じていることは、世界の内戦などが起こっている国の人々に比べれば、自分的にどんなに大変でも 「まだマシ」なんだと思うのです。

「隣の芝生は青い」という言葉がありますが、外に出てもテレビを見ててもなんだか自分が一番みじめで 一番劣っているように思うことってありませんか?
人を見てはうらやましく感じること、ありますよね。

☆職業と見た目では人の大変さはわからない

あるテレビのドキュメンタリー番組で 若い男性のお医者さんを取材した番組があり、そのお医者さんは 数年前に難病が発症し、その難病は現在では治療法はないので ご自分の病気を受け入れつつ現在は病院でドクターとして勤務されていますが、進行性の病気のため、いずれ仕事は出来なくなり、結婚や子供もあきらめていることなどを話されていました。

私は月に1度訳あって病院に行くのですが、大きな病院で 白衣を着た若い男性のドクターとすれ違ったら 無意識に「この人は勝ち組の人。医者は高学歴で給料も良いし家族や親戚には自慢できるし 自分を卑下したり劣等感を感じることもないだろう。 将来の不安もないだろう」という目で見ていました。

なのでこのドキュメンタリー番組を見た時、人を職業とか パッと見とかで「絶対に自分より幸せだ」と判断してしまうのは違うんだな、と。「隣の芝生は青く見える」「人はうらやましく見えるし、うまくいっているように見える」けど、本当は みんな大変なんだな、と。この世は修行なんだから 大変じゃない人なんていないんだなと。

今は子供から大人までスマホやゲームに夢中ですが、テレビのドキュメンタリー番組やノンフィクションの本など、自分の狭い価値観や、かたよった考え方を広げ 正してくれるのに役に立ちます。

現実を変える努力も大事ですが、 自分のものの見方、考え方、受け止め方、価値観を変えていくことも、とても大事なことだと思います。